球児たちのドラマ

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高校球児たちの夏。様々な思いを背負い甲子園を目指す球児を見てきたいと思います。

「甲子園に行ってくれ」がんで亡くなった父と交わした約束を果たそうと、甲子園を目指す選手がいる。筑前(福岡市)の主将、秋山健太郎君(3年生)。父が生きたかった時間を全力で野球に打ち込むと決めた。思いを胸に、9日の高校野球福岡大会開幕を待つ。

会社勤めの父親の大輔さん(享年46)が単身赴任先の大阪から福岡に戻ってきたのは中学3年の頃だった。体調を崩したためだが、「治す」と明るく振る舞う様子に、健太郎君は疑いを持たなかった。本当は医師から「余命半年」を宣告されていた。末期の膵臓(すいぞう)がんであった。

健太郎君が高校に進学して野球部に入ると、体調が落ちついたときは、自宅で球をトスして打撃練習を手伝った。練習試合の観戦にも出かけた。昨夏、新チームの主将に選ばれた時には「頑張れ」と励ましてくれた。

だが、今年に入り、大輔さんの体調が悪化して。試合の観戦にも来られなくなった。前後して健太郎君は父の病状の深刻さを初めて知らされる。

 「夏の大会を見たい。それまで頑張る」大輔さんは妻の知子さん(46)に話していた。

 亡くなる約1週間前、健太郎君は大輔さんに呼ばれた。「おまえは長男だから、頼むな」野球のことも気にかけてくれた大輔さんに「絶対に甲子園に行くから、見といてね」と伝えると、「最後まであきらめるな。甲子園に行ってくれ」と励まされた。
だが2、3日後。それまで決して弱音を吐かなかった大輔さんが、涙を流しながら息子に言った。「夏の大会が見たかった」と告げる。

葬儀後、健太郎君は一度も涙を流していない。家族を守り、甲子園に行くという覚悟ができたからだ。「父は悔し泣きをしながら、生き続けたいと言っていた。生きたかった分の時間を全力で野球をしなければ」そう力強く語る・・・。


舟木あみさんは古賀竟成館(福岡県古賀市)の3年では、ただ一人の女子マネジャー。中学時代からの友人でエースの谷口龍貴君(3年)は、投球後すぐに氷水で肩を冷やしてくれる気配りに感心していた。人一倍大きな声で選手を鼓舞するムードメーカーでもあり、最後の夏はベンチで一緒に戦うはずだった。

昨年12月、舟木さんは30人近い同級生の部員たちを大講義室に集め、告げた。
「腫瘍(しゅよう)が見つかったの。悪性なんで、入院することになるかもしれない」と涙ながら告げる。

「甲子園に連れて行くから。一緒に頑張ろう」約束する谷口君にうなずいた。「夏の大会でスコアを書いてほしい。勝ち進んで時間をつくるから絶対治して」と頼む緒方君の手を握りかえした。そう誓い合ったはずなのに、月曜日の朝、舟木さんは旅立った。

亡くなる直前まで病室でプロ野球中継を見ながらスコアをつけていた。「甲子園に行ってスコアをつけられなかったら困るでしょ」と話していたという。

最後まであきらめなかった舟木さんに、甲子園に行くことで恩返しをすることを誓った。谷口君は決意を込める。「どんな苦しい戦いになっても絶対あきらめない。舟木には天国から甲子園のスコアをつけて欲しい」

どんな人間にも一人、一人にドラマがある。そして彼等は夏の舞台でその気持ちを一球、一振りに込めて思いを届けるのであろう。

以上、今日の梶原吉広おススメニュースでした!!