19年間、お疲れ様です。次の目標へ

今日の梶原吉広おススメニュースはこちら!

ソフトバンクを退団した松中信彦内野手が引退を表明した。
「私、松中信彦は2016年3月1日、19年間の現役を引退することを決断しました。19年間多くの人に支えられ、感謝しています。10月にホークス退団して、わずかな可能性にかけて、現役を続行してきましたけど、4か月間自分の中で最高のパフォーマンス、準備をしてきた。だが、現実は厳しく、オファーはなかった」と涙ながらのコメントをする。

松中元選手は1996年にアトランタオリンピックで日本代表に選出。決戦でのキューバ戦で負けてしまったが、松中選手の活躍が注目を浴びた。オリンピック後はドラフト会議で福岡ダイエーホークスで2位に指名される。そして2004年のレギュラーシーズンで首位打者、最多本塁打、最多打点で三冠王に輝く。2006年のワールド・ベースボール・クラシックで日本代表に選出。全8試合に出場して優勝に大きく貢献した。しかしその後は怪我をしてしまい欠場が増えたり結果も伸びる事、回復する事はなかった。ソフトバンク退団後はNPB他球団で現役続行を目的に自主トレーニングに打ち込む。入団テスト実施を持ちかけるも不調に終わり、NPB他球団の関係者が視察するソフトバンクの春季宮崎キャンプへ参加。しかし獲得オファーを出したのがベースボール・チャレンジ・リーグ武蔵ヒートベアーズの1球団だけに終わり。松中元選手は引退を決断する。

引退会見の際に松中元選手は引退後の活動をコメント。
「野球一筋の人生しか送っていない自分には、野球に携わる仕事しかできないので、いずれは三冠王を獲得できるほどの選手を育てたい。また、地元・熊本県出身のプロ野球選手が以前に比べて少ないので、県内の子どもたちからプロ野球選手を輩出するための力になりたい」と次への目標を定めて「異業種の人と会い、話を聞きたい。将来的には指導者になりたい。しっかりと勉強し、経験し、準備をしたい。ニューヨークにも行きたい。そこにはベースボールの歴史がある」と目標に対しての具体的な道筋も定めていました。

以上、今日の梶原吉広おススメニュースでした!!