井上康生のあの時

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【あの時・井上康生】復活Vひきかえ大けが「引退」初めて意識
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04年アテネ五輪でメダルなしに終わった康生は、進退を保留にしたまま秋を迎えた。「(復帰時期は)非常に重要なこと。山下(泰裕)先生らと話をしながら、最後は自分でしっかり決めたいと思っていました」。10月に練習は再開したが復帰戦を決めなかったため、「現役引退」、プロ格闘家へ「転向」など、さまざまな臆測が飛び交った。

 しかし、康生は「私は一度も(引退を)考えていませんでした。気持ちを切り替えるのに時間をかけただけで、まだまだ(柔道を)やりたかった」とぶれていなかった。上村春樹山下泰裕ら数人しか達成していなかった世界選手権、五輪、そして全日本選手権で頂点に立つ「柔道3冠」の栄光を23歳でつかんだ日本の至宝は、揺るがなかった。

 そんな時、11月にタレントの東原亜希との熱愛が明らかになる。同時期に階級を一つ上げ100キロ超級への転向も発表され、05年1月の嘉納杯を再起戦に決めた。「何が何でも勝たなければという事ではなく、まずは柔道を楽しみたいという気持ち」で戦い復活Vを成し遂げる。父・明は実家の宮崎から上京し「何とか勝ってほしい」と願い大会直前まで付きっきりで指導した。「結果イコール優勝しかない」と話した斉藤仁・全日本男子監督を喜ばせた。

 一方で、後に大きな影響を及ぼす代償も負った。右側大胸筋腱(けん)断裂。大胸筋と右肩の骨をつなぐ腱を、決勝戦の開始直後に痛めた。練習再開まで半年を要する大けがだった。「来年、再来年に向けしっかり治します」と気丈に話す一方で、実は「引退」を初めて意識したのが、この時だった。「元には戻らない。最大でも回復は80%」と医師に告げられた康生を、さらなる不運が襲う。

 05年6月、長兄・将明さんが、くも膜下出血のため32歳の若さで帰らぬ人に。00年シドニー五輪で金メダルを獲得。表彰式でジャージーの中に忍ばせた遺影を頭上に掲げた母・かず子さん(享年51)と同じ病だった。

 北京五輪が翌年に迫った07年、2月のフランス国際100キロ超級で優勝した。2年ぶりの国際舞台での復活に「やっと(北京五輪代表争いに)間に合った、という感じでした」。だが、その後、勝利からは見放された。(南公良)=敬称略、肩書は当時=

 ◆大胸筋 胸部の最表層にある強大な筋。鎖骨の内側半・胸骨・第1〜6ろっ骨などで形成され、筋骨が外側へ集中し平らな腱で上腕骨に直結。上腕の内転機能に関わる筋肉で野球の投げる打つを始め柔道、空手やボクシング、バレーボール、テニスなどあらゆるスポーツで重要な役割を担う。

井上選手にこんな出来事があったんですね。凄く辛かったと思います。井上選手限らず。引退の陰には知られざる辛い思いがあるんですね。

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